あと1m

今年の1月31日に他界した私の父は、生涯でいろいろな仕事をしていました。
60歳を過ぎてから、「花田エクステリア」と称して仕事を始めました。
始めたと言っても決して素人ではなく、すでに家を一軒自分で建てられるような、
プロではない(本物の)プロでした。
無口な父が、ある時こんな事を言いました。

「あと1メートル掘るのが、なんであかんのや。」
「はよ仕上げたいのはわかるけど・・・」
「土台っちゅうもんはな、支えなんや。せやから・・・」
「家の人がそう言うし・・」

無口なのに、話し始めると回りくどく、嫌になるほど長い父の話を要約すると、
「花田さんは仕事が遅い!」ということ、なのだそう。
「仕事は早く」が求められている中で、父の仕事は遅かったのです。
発注先から「花田さん、もうちょっと早くやってもらえませんか」なんてことを
しょっちゅう言われていたようです。
でも父は、ベランダ一つを作るにしても、「この支柱をあと1m深く掘ったら、20年は持つ」なんて事で、それを掘るわけです。
すると、発注先の会社から「花田さん、いつまでそこの現場にかかってるの?」となるのです。
それでも父はその理由を説明して、それをやり続けます。
すると今度は、大元の発注主であるベランダ工事の家の人から、父の発注先である会社に苦情が来るのです。
「ベランダ一つに、いつまでかかるの!」と。
発注先の会社からは、「花田さん、そこそこ持つように作ってくれたらそれでいいんやから、それなりにやって、はよ終わらせてんか。」と言われたそうです。
それでも父は、あと1mを掘りました。
20年は確実にもつ、頑丈なベランダが出来上がった後、父の仕事は無くなりました。
そして、そんな父が経営する「花田エクステリア」はつぶれました。

父は怒っていました。
酒を呑みながら、とても怒っていました。
「そこそこ持てばええから」とは、どういう事かと。
きっと父にしたら、20年持つベランダでも完璧ではなかったのでしょう。
その家に今住んでおられるご家族の子どもが、その家に住み続ける事を思えば。

最近問題になっているマンションの基礎工事の事を知った時、父の仕事の事を思い出しました。
父のような人は、きっといっぱいやはるんやろなぁ。。。
私は大切な事を見失わないように生きていきたい!
彼のように。